曲がり山の地下迷宮
第一巻
第1章
「親方アレンさん、赤ん坊は男の子だよ...」
オーカスでもっとも成功している鉱員グループの一つをまとめる親方アレンは、妻の出産を助けていた老婆をじっと見つめ、自分を見返すその眼差しが陰鬱としていることにひどく戸惑った。こんなに喜ばしい知らせにも関わらず苦々しい顔をしているなんて、いったい何が起きたのだろうか?だが少しすると、彼も察しがついた。子は生まれたが、その子の泣き声は聞こえない...
「私の子は死んだのか?」
人生であらゆることを目にしてきたアレンではあったが、それは簡単に口に出せる言葉ではなかった。
「生きとるよ。」ヒーラーの老婆はそう陰気に答えた後、ほとんどささやき声ですぐに言葉を付け足した。
「だけど、生きていない方がよかったねえ...」
アレンは獲物を見るように目を細め、一歩前に出た。彼の苛烈な視線から炎が出ていたなら、老婆があっという間に燃えた後の灰の山でさえも跡形もなく燃やし尽くされていただろう。ダリアは嫌悪に満ちたアレンの睨みを静かに受け止めた後、言った。
「それでもいい知らせもあるよ。あんたの妻は何事もなく出産をやり切った。」
その言葉は、父親になったばかりのアレンの魂で燃えていた憤怒の炎を消した。少しの間をとってからアレンは落ち着きを取り戻し、質問を続けることにした。この老婆は地方一帯で右に出る者はいないレベルのヒーラーである。それに加え、彼女がまだオーカスにいるということさえもがとんでもない幸運なのだ。ダリアは元々、ずっと前に都市に向けて出発する予定だった。彼女がまだここにいるのは、雨季が予定よりも一週間早く始まったことが全ての理由だ。今となっては、「眠りの通り道」は二カ月は閉鎖される。このような時期に山を越えようなどと思うのは頭のどうかしている者だけである。アレンと彼の妻にとっては幸運なことに、ダリアの精神状態はいたってまともだった。
「話せ。」親方は低い声でそれだけ言った。
リアナと息子のそばにいたくて仕方がなくても、まずは聞かねばならないことがあった。
「あの子は『ゼロ』状態だ。」ヒーラーの老婆は淡々と言葉を絞り出した。
アレンの顔に表情は全く浮かばなかった。親方の泰然自若とした振る舞いは、「息絶えた海」の北の嵐が最初に勃発した場所である「黒い岩山」でも嫉妬されるほどである。しかし心中では、彼は心臓が冷たく締め付けられるのを感じていた。かわいそうな私の息子!どうしてこんなことになってしまった!
その間にも、ダリアは話を続けていた。
「最初は死産だと思ったんだよ。だけどあの子の『生命』と『エネルギー』の『補給元素』を見てみたら、それぞれ十ポイントだけあった。だいたいの下限は二十ポイントだってのにね。」
「どうしてそんなことが起こるんだ!」
「分からないよ。」ダリアは困惑した様子で肩をすくめた。「こんなことは今までに一度も見たことがないし、人から聞いたことさえない。これは『バグ』の仕業だよ、それしかない。」
「老いぼれめ、それは冒涜か?」アレンの平静はまたもや揺らいだ。「邪悪なる霊がこれと何の関係がある?それとも、世界の全ては『偉大なるシステム』の思し召しによるものだと信じていないとでも?」
それを聞いたヒーラーは、酸っぱい物でも食べたように顔を歪ませた。
「実際は私だってそう信じているさ...」
「では、話のどこに悪霊のことなどが入ってくる?」
「いいだろう、」親方からのプレッシャーに折れたヒーラーは、疲れた声で話し始めた。
「ただし。私も異端者として殺されたくはないからね、まずはこの辺近くの『偉大なるシステム』の聖堂に私を引っ張っていかないことを『誓う』んだよ。」
「約束しよう。」親方は暗い声で言った。
「誓約」が承認されたというシステムメッセージを受け取ったダリアは、声を潜めて話し始めた。
「あんたも知ってる通り、『偉大なるシステム』は私らが生まれる時に一人一人、最初のレベル1を授け、『補給元素』を満たし、そして最初の『特長アップのパネル』を与えてくださる。そして、パネルの枚数は『ランダム』神によって決定される。ほとんどが得る個数は十か十二枚だ。私が聞いたので一番多かったのは十五枚だね。」
アレンは無言で頷いた。最初の息子であるイヴァールが受け取ったのは十四枚だった。その時、アレンの顔がゆっくりと陰った。
イヴァールが「荒れ地」での戦いで亡くなったという知らせをアレンとリアナが受け取ってから、まだ二年しか経っていない。二番目の息子の誕生が、イヴァールの死後に夫婦に根付いていた暗い影を追いやってくれるだろうとアレンは期待していた。だが、どうやらそんなことはなかったようだ...
「だが、十枚より少ないパネルを受け取る者たちもいるんだ。その者たちは皆、子供の時は苦しい思いをする。周りの者よりも弱いからね...だが、時間が経てば多くの者はきちんとした生活ができるまでになる。」
「ああ。」アレンも同意した。「私の鉱員の何人かもそうやって生まれてきた。」
アレンの顔に少しの光が差した。どうして彼はそのことを忘れていたのだろう!彼の息子も、将来は普通の生活を送れるということだろうか?その瞬間、その場でアレンは自分自身に誓った。できるに違いない!アレン自身がそれを見届けるのだ!
親方の機嫌を察したダリアは、急いで彼を現実に引き戻した。
「アレンさん、あんたが考えていることを当ててやるよ。あんたの息子もその男たちのようになれるだろうと思い込んでるね。でも間違ってる。あんたの赤子は『ゼロ』だ。あの子はレベル1もパネルも受け取っていない。あの子の『補給元素』も哀れなほどに低い。私はランダムがこれに一枚噛んでるとは思わない。これは全部『バグ』だよ...」
今のアレンを見れば、誰もが胸を痛めるだろう。希望が彼にウインクしたと思った途端、希望という概念そのものが目の前で泥の中に飲み込まれていったのだ。
その間もダリアは続けた。
「知ってる通り、『バグ』は色々な名で知られている。『誤作動』、『失敗』、『ウイルス』などあるが、もう一つあるんだよ。『古代族』の書から私の師が見つけたんだ。『世から旅立った者たち』は、『バグ』を『システムエラー』と呼んでいたよ。分かるかい?エラーだよ!要するに、『偉大なるシステム』も完全無欠ではなく、間違えることがあるということだ!あの書に書かれていたことは他にも多くあるが、ここでは話したくないね。それに、あんたに聞かせることでもないだろう...」
アレンは長椅子にぐったりと座り込んだ。
「レベルゼロ...」アレンはつぶやいた。「だがそれは...」
「そうだ、」ヒーラーは悲しげに頷いた。「あの子の能力が成長することはない。あの子にはパネルが使えない。『経験値エッセンス』を使ってやったとしても、何にもならないんだ。『偉大なるシステム』によって創造されしモノはほとんど全て、最低レベル1という使用条件があるからね。」
「それで、私たちには一体何ができると言うんだ?」アレンが打ちひしがれて言った。
ダリアは長椅子の空いた席、親方の隣に腰掛けた。深いシワが刻まれた彼女の顔は、深く考え込んだ表情のまま動かなかった。
「このヒーラーは何歳なんだ?」アレンは突然そんなことを思った。ヒーラーの一生は長いということは誰もが知っている。また、ヒーラーは不老の秘密を発見したとも言われている。アレンは含み笑いをした...全くもってしょうもないな。だが、『バグ』というのは不可思議に機能していることだ...それに、ダリアが七十歳に見えるとしたら、実際の年齢は優に二倍、いやもしかすると三倍にもなるかもしれない...
「ああ!」老婆は予想外の音量で声を上げた。彼女の濃紺の瞳が、喜びで輝いている。「分かった!」
乾き切った手のひらを擦り合わせながら、ヒーラーは職人に向き合った。
「これを考えつくのにこんなに時間がかかるなんて奇妙なことだね。もう歳かねえ...あんたももうちょっと頑張ればいいのにさ...」
アレンは意味がわからず、老婆を見つめた。
「はいはい、」そう言ってダリアは手を振った。「説明してやるよ。あんた、頭使うのはあまり向いてないようだからね...今ある唯一の解決策は、『古代族』の遺物を使うことだ。」
「それはつまり...」
「思ってる通りだよ。遺物は制限のない唯一のアイテムだ。実のところ、制限も条件も一切存在しない。だけどね、あんたが理解しなきゃいけないのは、希少な遺物を手に入れるには大金がかかるってことだ。それでもあんたの息子には二つか三つ、メインの『特長』を上げてやるアイテムだけがあればいい話だけどね...」
老婆の話は終わっていなかったが、もうアレンの耳にはあまり入っていなかった。彼はすでに、「世から旅立った者たち」の遺物を買う場所と方法を考え始めていた。そして、アレンはいくら金がかかるかなどは考えていなかった...息子の命、それがアレンにとっての重要事項だった...
14年後...
「クッソ重てえなチクショウがあ!」屁を放ちつつ食いしばった歯の間からそう悪態をついて、太った運び屋が重い肘掛け椅子を玄関まで引きずっていた。
僕のひいじいちゃんの「玉座」。父さんは夕食後にそこに座って、暖炉で足を温めながらパイプを吹かすのが大好きだった。そうすると父さんはすっかりリラックスして、座っている間、物語や説話、伝説を僕に話してくれた...
「ああ、この家の家具はみんな重てえなあ!」ダイニングから不機嫌そうな声がこだました。
「古いオーク材の肘掛け椅子が一つ。」運び屋の悪態も放屁も無視して、銀行員が落ち着いた声音で言った。彼の干からびた長い指はガチョウの羽ペンを素早く操り、家から取り去られていく物の全てを念入りに書き留めている。すでに三枚の紙が、銀行員の小さくきちんとした字ですっかり埋め尽くされていた。
細く引き締まった身体の髭男がキッチンから現れた。震える男の両手がつかんでいる、蓋付きのヒビの入ったスープボウル。男の赤みがかった瞳が、銀行員の痩せこけた体躯をぼうっと見つめた。
「これなんざ、ガラクタじゃねえかと思うが。持ってくのかあ?」
母さんが気に入っていたスープボウル。母さんがこれをテーブルに持ってくるたびに、僕たちはいつも変わらない格言を聞かされたものだった。「ヒビなんてどうでもいいこと!これに入れればスープがずっと温かいのよ!」他の料理を運ぶためにキッチンへ小走りで戻る母さんを見届けると、父さんが女性というのはみんななかなか物を捨てられないんだと決まって僕にささやいていた。その直後に父さんは、母さんがことあるごとに捨てると脅かしていた自分の古いベストを笑顔で撫でていたな。
銀行員は仕方なく自分のメモから視線を外し、髭男を見た。細められた小さな二つの目は、明らかな軽蔑に満ちている。
「トックス。」銀行員はざらりとした声で言った。「お前に与えられた指示はたった一つ。『家屋から全てを取り除き、カートに積み込め。』お前が分かっていないのははっきりどの部分だね?」
「いやあ、だってよう...」トックスが言い返そうとした時、巨人とも言える大男が家の中にやって来て無遠慮に割り込んだ。
「おい!そのでけえ口閉じて、言われたことやれや!ケツ動かせ!」
髭男トックスは肩の間に首を縮めて、玄関からこっそり抜け出そうとした。
「おめえどこ行く気だよ!」巨漢が怒鳴った。
トックスは自分の監督である大男をぼんやりと見つめた。大男は胸の前で腕を組み、巨大な腹を前に突き出して、出入り口の前に立っている。
「おめえはスープボウルぽっちを一個ずつ運んで、それでいいとでも思ってたのか?バカ野郎が、さっさとしろ。キッチンに戻って、てめえの仕事しやがれ!」
トックスは風のように素っ飛んでいった。
「ドレイアーさん、あなたはスタッフをもう少し丁寧に選ぶべき立場にいると思いますがね。」銀行員がとげとげしい口調で物申した。
「おめえさんに聞いた覚えはねえぞ、文書係のおキツネ。」太鼓腹のドレイアーはそれを一蹴して、両親の寝室に向かっていった。そしてその途中、痩せた銀行員の記録書をいたずらに軽くはたいた。
白い紙の束は仰天したハトの群れのように銀行員の手からバサバサと散乱し、床に滑り落ちる。「文書係のおキツネ」は上擦った大きな声でハッと息をのみ、大事な宝を取り戻すために膝をついた。彼の身体は憤慨で震え、鳥のように長い鼻からは緑の鼻水が一筋垂れ下がっていた。
銀行員は時折床を這い回りながら、愚かな運び屋たちとその粗暴な監督をうめき声で低く罵った。すると、事務員の屈辱的な体勢をばかにして、馬の真似をしたような甲高く品のない何人かの鳴き声がダイニングから響いた。銀行員の顔はたちまち真っ赤に燃え上がり、小さな目の縁に怒りの涙が溜まった。
彼の老いて乾いた指が、ようやく全ての紙を順番通りに並べ直すと、首にかけられた糸にぶら下がっているインク瓶をしっかりと握り、銀行員は立ち上がった。ズボンの埃を右手ではたき落とし、使い古されているがこぎれいなフロックコートを何回か叩くと、銀行員は身を落ち着けた。
まさにこの瞬間に、僕と銀行員の視線は合わさった...
僕は通路の端にある丸椅子に座って、自分の身にどんな運命が待ち受けるのかを待っていた。両親からの借金分を取り戻すために銀行が僕たちの家を取り立ててしまうことを僕が知ったのは、つい昨日のことだった。その上、僕はそのたった一日前に、近くの採鉱場で両親が命を落としたことを知らされた。
「何を見てるんだ、できそこないの小僧?」銀行員が鋭い声を発した。
この男は本当におキツネじゃないかと、僕はクスクス笑った。
「この様子がおかしいとでも思っているのか?」おキツネの目に、心からの困惑と刺々しい怒りがない混ぜになっているのが見えた。「つまるところ、これは全てお前が原因だからな!」
よく分からない...この男は何を言っているんだ?
「ははは!理解できないようだな。」
すると、ドレイアーが母さんの陶器を腕いっぱいに抱えて、両親の寝室のドアから出てきた。彼はまず暗い顔で僕を見てから、銀行員を見た。
「うるせえぞ、事務のネズミ野郎が!」大男が怒鳴った。「ボウズに変なこと言ったら歯ァ全部引っこ抜いてやっからな!」
ドレイアーは僕を勇気づけるようにウインクをした後、太鼓腹を揺らしながら家を出た。
怒りで口元を歪めているのを見る限りおキツネは何か言いたかったようだが、上から大きな声がして、彼の口撃は始まる前に打ち切られた。
「やめろサキス。何も言わないでおきたまえ。」
僕と銀行員は同時に顔を上げた。二階へと続く階段の上に、一人の男がいた。卵のように禿げ上がった男は何かの記録書を見下ろしていて、厚い唇は同時に書かれてゆく文字をぶつぶつと読み上げていた。男のインク瓶は、首周りの鎖からぶら下がっているというよりは、まるで腹の上に座っているようだった。
「だが、ヴェレン!分かってくれ!この小僧は銀行職員としての私に対する敬意が全く無いのだ!」サキスはわめいた。
「いいからやめたまえ。」太った銀行員は記録を取ることをやめずにそう繰り返し、階段を降りてきた。その時、彼は書類から目を引き剥がして、こう言い加えた。
「よくよく言うが、その少年は放っておくのだ。彼は我々の問題では無い。」
「どういうことだ?」サキスは驚いた様子でたずねた。「私は銀行が...」
「いや、」ヴェレンが遮った。「残りの借金はバルダンが買い取った。」
おキツネの細長い顔が、平たく見えるほどに引き伸ばされた。
「あのバルダンか!?」
「そうだ。」ヴェレンは無頓着にそう答え、記録書へと再び沈んでいった。
サキスは僕の方にゆっくりと向き直った。一瞬、彼の瞳に哀れみが見えた。
「オッホン...ンーン...」間をとってから銀行員はこう言った。「私がお前でなくてよかったよ、できそこないの小僧。」
僕の顔に混乱と動揺が見えたのに気分を良くしたサキスは、誇らしげに顔を上げて出口へとゆっくり進んでいった。
ダイニングにいる二人の運び屋の会話がくぐもった音で聞こえてきたのを、僕は聞かずにはいられなかった。
「なあトックス、銀行のネズミ野郎はなんであのボウズをできそこないなんて言ってんだ?」話している男の顔は見えなかったが、声で分かった。金髪で背は低く大柄の、まるでビール樽のようなロイだ。
「そりゃあおめえ、できそこないだからだよ。あいつ、生まれた時から障害者なんだと。」トックスは無頓着に答えた。
「ほおー、」ロイは驚きながら返答した。「ボウズの見てくれだけじゃ全然分かんねえよ。まあ、ちっと痩せすぎで目にもクマはあるっちゃあるか。そしたらボウズ、最近病気にでもなったのかね?いや待てよ、父ちゃん母ちゃんが死んだばっかりだからな。死んでるみてえに顔が真っ白なのはそのせいにちげえねえ。」
「ちっっっげえよ。」とトックスは反論した。「あいつはそうやって生まれてきたんだよ。うーん...アレンのおっさんにランダムからの加護あれ。アレンの親父は息子には運がなかったみてえだなあ...」
しばらくの間、ダイニングには沈黙が落ちた。運び屋は二人とも考えこんでいた。
沈黙を破ったのはロイだった。
「なあ...おれたち、まだ半日は働かなきゃなんねえじゃねえか。くっちゃべってれば時間が早く過ぎるからよ...」
「話すことなんてそんなにねえよ、おめえ。」トックスが張り詰めた声で答えた。重い物を運んでいるみたいだ。「おめえも分かるように、この家族はいい生活をしてた。この二階建ての家。農場も順調だったしな。馬、牛に豚だぜ。」
「そりゃあまちげえねえ。」ロイの口調には妬みが混じっていた。
「バーグマンってのは鉱員の一家だからな。」トックスが続けた。「ボウズの親父の班は一番の腕だった。そんで、班員全員がついこないだの崩落で死んじまった。」
「うっげえ...」
「バーグマンの嫁さんともう何人かの奥さんも、自分の旦那に昼飯を届けに採鉱場に行ってたからよ...奥さんたちもみんなあの世に行っちまったってこった...」
トックスの声色から察するに、彼は僕の両親と班員家族のみんなの死をうわべではなく心苦しく思っていた。
「で、息子の方はどうなんだよ?」ロイがたずねた。
「親父さんは息子には運がなかったな。最初はうまく行ってたんだぜ。絶好調だったってくらいだな!最初の息子は、生まれた時にパネルを多く受け取ってよ。同い年の奴らの中では一番強かった。十四になったら親父と一緒に採鉱場で働き出して、その年の冬、息子は大会でも優勝した。そん時に男爵が目をつけて、自分の従者見習いとして仕えさせるために雇ったのよ。」
「すっごい!親父さんはすっげえ幸運じゃねえのかよ!?」ロイは話がつかめず、そう大声で言った。
「いんや。一ヶ月後に、息子が死んだって知らせがバーグマンとこに来たってわけだよ...」
「そういうことかよ...」
「ああ、だからよ...」
運び屋たちはまた静かになって、頭の中で情報を処理していた。長い静寂ではなかった。今度口火を切ったのはトックスだった。
「息子の死を悲しんで何年か経った頃、嫁さんはまた身ごもった。そりゃあ喜ぶことだと思うだろ。だが何があったってな、生まれてきた赤ん坊にはちょっとした欠点があったのよ。いや、ちょっとじゃねえな...夫婦は最初、赤ん坊は死んだと思った。泣かねえし動かねえし、目も閉じてる。だけど夫婦は、腕のいい呪術師を助産師として雇ってた。そのばあさんが、赤ん坊が息してるのに気付いたわけよ。かろうじてってくらいだったらしいけどな。」
「うっげえ...」ロイがそう発した。
「へっ!」トックスが声を上げた。「おめえ、まだ一番肝心のとこも聞いてねえぜ。アレンは都市から来てたそのヒーラーに大枚をはたいてた。」
「だろうなあ!」
「で、とにかくやべえのは、ヒーラーのばあさんが坊主は『ゼロ』状態だって言ったことだ!レベルゼロだぜ!」トックスが意気揚々と言った。
その時に聞こえた音は、落雷のようにロイの顎がガシャンと床まで落ちたようだった。だけどそこで僕は、彼らがちょうど父さんの工具に手を付けたんだと気付いた。
「うおお、こりゃあそうそうお目にかかれるもんじゃねえ!」ロイが感嘆してそう言うのが聞こえた。
正直に言えば、僕は驚いていた。トックスがした僕の生まれの話は、ほとんど合っている。ささいな間違いはあったが、全体としての要点は正確だった...父さんは僕が生まれた時の話を何度も聞かせてくれた。
「オイ、そこの間抜けども!」ドレイアーの突然の怒号で、僕は飛び上がった。「ケツ動かせや!おめえらバカ共がくっちゃべるのに金払うつもりはねえぞ!」
巨大な運び屋が玄関口から突然現れ、ドアの方へとスタコラ逃げていく子分たちをジロリと睨んだ。
「クッソろくでなしども、」ドレイアーが小声で唸った。「まあ心配するこたあねえ。給料よこせって来やがる時にお話しする時間はたっぷりあるからな...」
彼は庭を少しの間見つめてから、僕の方に振り返った。僕に対する彼の眼差しに棘はなかった。
「準備しな、ボウズ。」彼は悲しそうに言って、頭で出口を指した。「迎えが来たぜ。」
おかしなことに、僕は今朝からずっとこの瞬間を待ちわびていた自分に気付いて驚いた。この瞬間に僕が考えていることが読める人がいたなら、僕はどうかしてしまったんだと言うだろう。
ハア...その人たちは、当たらずといえども遠からずと言える。
二日前、そもそも最高というわけでもなかった、僕のような障害者が期待していいくらいだった僕の世界は、ただ、消え去った。僕と両親の家が奪われるのを遠くから眺めていた僕は、ある瞬間に突然、自分はもう一人ぼっちなんだということを悟った。僕とこの世界だけの、一対一。大きくて強い僕の父さんが助けに来てくれることはもうない。よくしゃべる、優しい僕の母さんが、怒りと絶望の涙に濡れた僕の頬を拭いてくれることもない。
僕の自分の喉に何かがつっかえるのを感じた。目がチクリとしだして、感情があふれ出そうになった。だめだ!僕は泣き出したりしない。少なくとも、この瞬間のこの場では。そんなことをすれば、家族の家を荒らすこの略奪者たちが面白がるだけだ。全てが終わった時に、僕はどこか縮こまるための穴を見つける。そうしたら気持ちを一気に解放しよう。だけど、それはここじゃないし、今でもない。父さんの名誉を裏切ることはしない。父さんは僕に強くあれと教えてくれた。
僕は、父さんと母さんが大好きだった物が運び出されるのをこの目で見た。僕たち家族の歴史が壊されていくのを。そして僕は、この場所は両親が死んだその時に僕の帰る場所ではなくなってしまったんだということを理解した...知らせを聞いたその時は気が付かなかったけれど、僕は人生の重大な本質の一つに辿り着いたんだ。ふるさとは、自分を愛してくれる人が生きる場所だってことを。
僕はのろのろと丸椅子から立ち上がった。僕の二ポイントの「機敏さ」だと、そのスピードが限界だった。それでも、このたった二ポイントは僕にとって素晴らしいものだ。
僕が初めて歩いたのは二歳の時だった。初めて言葉を話したのもその時だ。その年は父さんにようやく運が巡ってきて、僕たちの住む男爵領の都市にある闇市場で初めて僕のために「古代族」の遺物を購入することができたのだ。いつもの癖で、僕は自分の胸へと腕を伸ばした。
- イワオオトカゲの骨製ボタン
- カテゴリー:簡素
- 機敏さ: +2
- 力: +1
- 頭脳: +3
- 使用条件:なし
- 耐久性:25/25
笑うほど少ないこの六の「特長」ポイントが僕にもたらした喜びをおかしく思う人もいるだろう。だけど、まるで板っきれみたいにベッドに寝たきりで、感覚もなく話すこともできずに二年間を過ごした僕にとって、父さんからのこの贈り物は人生で最高の出来事だったし、今でもそうだ。
僕の両手には小さなリュックがあった。その中には両親が描かれた小さな肖像画が一つと、ゆで卵が二つにパンの切り落としのところが一切れ入っている。食べ物は、旅路で空腹にならないようにと隣人のマダム・ホーストが持たせてくれた。すぐ口論したがる嫌なおばさんだといつも思っていたけど、彼女は最後に予想外の思いやりを見せた。僕はどうなるのかを聞きにここまで来てくれた唯一の人だ。
この平凡なベルトは僕が着ている服全部と同じようにレベルゼロだけど、小さな物を入れられる場所がついている。僕はそこに小さなポケットナイフを入れていた。
- ドラゴンフライ・ナイフ
- カテゴリー:簡素
- ダメージ: +2
- 使用条件:なし
- 耐久性:55/55
このナイフは、父さんが入手した最後の遺物だ。父さんと母さんが、誕生日プレゼントとして僕にくれたものだ。二人が死ぬ、たった数時間前に...
わずか三の「強さ」ポイントでも、僕はどうにかして自分の身体を動かし、小さなリュックも持つことができた。それも全て、このちっぽけな指輪一つのおかげだ。
- 鋼鉄の指輪
- カテゴリー:簡素
- 力: +2
- 使用条件:なし
- 耐久性:30/30
僕は一度、こういった簡素なアイテムがどうしてそんなに貴重なのかを父さんにたずねたことがある。それにはかなり重大な理由があった。
まず一つ目は、「古代族」の遺物には使用条件が一切無いということだ。つまり、レベルも「特長」も関係なく、誰でも身に付けられるということだ。
二つ目は、獲得できるボーナスは低くても、遺物は強化可能だということ。だけど今のところ、僕にその方法は分からない。
三つ目は噂でしかないけれど、強化された遺物は、既に上げている「特長」だけでなく、新しい「特長」のポイントも上げるらしいことだ。
そして最後の四つ目は、これらの遺物はかく...か...、そうだ、「拡張」ができるってことだ。どういうことかと言うと、アイテムの「特長」ポイント全てに自身のレベルが足されるってことだ。たとえば僕がレベル1だったとしたら、持っている遺物の「特長」全てが1ポイントずつ強化される。まあ、僕には夢のまた夢ってやつだよ...
おまけにもう一つ...ダリアが教えてくれたことがあった。「古代族」の工芸品は、高い「頭脳」を持つ人々にしか判別できない。一般人には、どこも目立ったところのない普通のアイテムに見える。
遺物の見た目自体をとっても別に...まあ、金の指輪みたいな高価な装飾品が鉱員の息子の指にはまっていたら、いらない注目を集めてしまうのは間違いない。だから、遺物が地味で目立たない見た目をしてるのはすごく都合のいいことだ。結論としては、「世から旅立った者たち」によって作られた物は全て、一品物で高価だということだ。不必要な関心を引くべき理由は無い。それは、父さんが僕に教えたルールの最初の一つだ。
新しい遺物が家に来るたびに、母さんの助産師でしかなかったヒーラーのダリアも僕らを訪れたのは、まさにそれが理由だった。ダリアと僕たち家族もお互い打ち解けるようになった。この作戦は功を奏して、誰も僕たちに疑問を持たなかった。たとえば二年間起き上がれずに過ごした僕が歩き出した時なんかがそうだ。
それにダリアは、鉱員をまとめる親方がいつも金を借りに銀行に行っていることに関して、筋の通った理由にもなった。ヒーラーを雇うには大金が要る。ダリアくらいのヒーラーなら特にだ。そういえば、僕のために「古代族」の遺物を探し出したのは他でもないダリアだって、母さんが一度だけ僕にポロッと言ったことがあった。ダリアには父さんが手間賃として少しのお金を払っていた。
息子が普通の子供として暮らせるようにと父さんと母さんはすごい量のお金を使っているんじゃないか。僕はいつも疑っていた。だけど、見境なく上がっていた利子も入れて、二人が作った借金の額を僕が実際に見た時には衝撃が走った。銀行が、家も土地も農場も全部持っていってしまうくらいだ。それでも足らず、僕にはまだ金貨百枚分ほどの借金が残っている。だけど、銀行はその借金を売却した...僕はバルダンとかいう男に借金を返済しないといけなくなったってわけだ...
この玄関から出るのはこれが最後になる。そう理解して両親の家を去る時、僕は運び屋のボスに振り返ってたずねた。
「ドレイアーさん。バルダンという人が誰なのか、教えてくれないでしょうか?」
大男は深いため息をついてから、沈んだ表情を見せぬよう努めて言った。
「バルダンはラニスタだ。闘技場の持ち主だよ。」
第2章
二年前
「よく聞け!」
指導者のドルームの声が洞窟に轟いた。赤髪の屈強なこの男は、僕の父さんと競い合っていた鉱員グループの一人で、この日は僕たちに採鉱技術を教えに来ていた。
「今日お前たちはツルハシの使い方を学ぶ!」ドルームはそう叫んで、僕たち生徒の顔を憂鬱そうに見つめた。
刺々しい視線で僕たちを見ていた彼の黒い両目は、僕を見て止まった。
「当然ながら、エリック・バーグマンは除くがな。」そう言ったドルームのカエルのような口が冷酷な笑みを形作り、黄色く曲がった歯を露わにした。
僕の元クラスメイト全員が、一斉に僕を見て上機嫌でげらげら笑い始めた。クラスで一番かわいい金髪のミアは、特に大笑いしていた。かわいいがミアには見劣りする友達の集団に囲まれているその様は、まるで女王のようだった。
彼女の父親であるルットはオーカスの十二長老の一人で、僕の父さんとは対立関係にあった。一度、父さんはあの老人の顔を殴ったことがある。そのあとこの街は長い間その話題で持ちきりだった。全てはあの堅苦しいじいさんが、自分の娘と「バグった」障害者の僕が同じ場所で学んでいるのが耐えられんと騒ぎ始めたのが始まりだった。
冗談じゃなく、この件は裁判騒ぎにまでなった。ルットは他の長老全員からの支持を得ていたし、クラスメイトの親もみんな長老たちを応援していた。彼らによると、落ちこぼれの僕がいると他の生徒たちの進みが遅れるんだそうだ。例えば狩りの時なんかは、僕がいるだけでグループ全体が弱くなる。何にもダメージを与えられないのに、獲物は自分のものだと僕は主張したりもするらしい。それに、彼らによると、うっかり動物にでも殺されないように見ておかないといけない「できそこないの小僧」である僕は、指導者にとっても頭痛の種。何しろ、僕の「生命」の「補給元素」は十ポイントしかない。大きなドブネズミに一度噛まれたらそれでおしまいだ。
でも、理論上の理屈はこうして通っていても、実際は違った。まず、僕と何かを分け合おうとするクラスメイトなんて一人もいたことはなかった。それに、指導者たちは僕の安全なんて気にもかけなかった。生きていればそれは上等。死んだらそれは僕自身のせい。
資源を集めるのも僕にとっては至難の業だ。どの道具にも資源にも、「最低レベル1」という条件がある。でも、それも僕にはこの際どうでもいいことだ!僕は母さんの作る料理でさえ、全ては食べられない。食べられるのはレベルゼロの料理だけ。パンやバターやハチミツなどの、もっとも簡素な食べ物。肉やポリッジも食べられる。でも、手の込んだ物はダメだ。他の子供がお菓子をガツガツ食べているのを見るのは、僕にとっては特殊な拷問だと言ってもいい。
最終的に、僕は退学するべきだというのが法廷での結論だった。けれども、出席して見学するのは許された。授業を聞いているだけ。根底にある考えは、「見るだけで触るな」ってことだ。当然、僕がケガをしても指導者が責任を負うことだってない...
小さなツルハシがドルームの手の中にあるのが見えた。父さんが似たものを僕に見せてくれたことがある。小さい訓練用。ダメージは五ポイント。
「一回しか説明しねえぞ!」指導者が声を張り上げて言った。「ここの柄の部分をひっつかむ!振り上げて、振り下ろす!打つ!」
鋼鉄の工具が、小さな火花を散らして鉱石とぶつかった。ドルームは柄に圧力をかけて、簡単そうに岩を一つ掘り出した。
「一丁上がりだ!お前ら分かったか!」
子供たちはそれぞれに肯定の返事を返した。
「よし、じゃあ俺に見せてみろ。最初にやるのは誰だ!」
背が高くたくましい少年が、生徒の集団からすっと出てきた。
狩人ウルヴァーの息子、ハーコンだ。タールのように真っ黒な髪。しなやかな体躯。動物のようにスムーズな身のこなし。ミアを筆頭とする女の子の集団は、ハーコンにぼうっと見入っていた。
聞いた話だと、ハーコンは生まれた時にランダムから十四枚ものパネルを受け取ったらしい。その昔に僕の兄、イヴァールが受け取ったのと全く同じ枚数だ...悲しいことに、僕は兄に会ったことさえもない。
ハーコンは「偉大なるシステム」から気前良く与えられたパネルのおかげで、同級生よりも格段に早く成長していた。彼は一週間前、レベル二の状態で自分の父親と兄と狩りに行って、レベル五になって戻ってきたのだ。彼の「力」と「機敏さ」の数値は高く、僕の元クラスメイトたちは彼を崇拝していた。
「ドルームさん、俺、もっといい道具を使えると思うんですけど!」ハーコンが反抗的な態度で声を張り上げた。
両手を腰に添えて、胸を張っている。気取ってら...
ドルームは低いガラガラ声で快諾した。
「構わん、やってみろ。」
そして、もっとがっしりとした「大人用の」ツルハシを差し出した。
「すっげえ!」僕と同じく鉱員の息子である、大柄のトマスが驚嘆して言った。「レベル五だ!俺の父ちゃんのだってレベル五だぞ!絶対重いぜ、あれ!」
その時、もしもハーコンが内心では不安を感じていたとしても、誰もそれに気付く者はいなかった。彼の整った顔は、いつもに増して自己陶酔でいっぱいの笑顔で輝いていたからだ。
指導者に近づいていった狩人の息子が止まり、右手を道具へと伸ばした。ドルームは重いツルハシをまるで鳥の羽かのようにやすやすと持ち上げ、ほぼ正面にいるハーコンへと差し出した。
「両手で持った方がいいぞ。」指導者は笑顔で言った。
ハーコンは自信満々に見えたが、その忠告を聞き入れた。指導者ドルームは頷くことで、それを評価する意を示した。
その間中、僕たち他の生徒は無言で突っ立ったまま、息をのんでハーコンの様子を見守っていた。ハーコンが両手で柄を握りしめた。ドルームを見てコクリと頷く。ドルームが、ツルハシを持っていた手を放した。その瞬間、ハーコンの額の血管が浮き出るのが見えた。両手は張り詰めて震えている。だが、ツルハシを放すことはない。
重い一撃が放たれて、ツルハシの先が鉱石へと食い込んだ。ドルームに比べると必死そうではあるが、それは大した事じゃない...
ハーコンは体重の全てを柄にかけた。そして、やっとのことで大きな石の塊を抉り出して、クラスメイトは感嘆に息をのんだ。
「よくやった!」ドルームはそう叫んで、少年の肩をポンと叩いた。
ハーコンは満足気な笑みを浮かべていた。そして、彼の視線は本人にしか見えないシステム通知を追った。
「なんのアイテム?」
「何だったんだよ?」
「なになに?」
みんなが次から次へと同じことをたずねた。
ハーコンがスッと片手を挙げた。
「静かに!」ハーコンの親友であるスケグが鋭い声で言った。「読めよ、ハーク!」
ハーコンは僕らには見えない文字に目をこらし、悠然と読み始めた。読むスピードのあまりの遅さに気が付いたのは僕だけだろうか?僕よりも低いとしたら、ハーコンの「頭脳」は底辺に違いない。
「カツモクせよ、お前は約1.8キロの鉱石を手に入れた!おめでとう!これらを受け取るがよい...」
ハーコンは僕ら全員をいたずらっぽく意味ありげに見てから続けた。
「『力』の粘土パネル!」
みんなが歓声を上げた。
「『機敏さ』の粘土パネル!」
「うおおおお!」今度はみんな、声を揃えて叫んだ。
「『耐久力』の粘土パネル!『採鉱』の粘土パネル!『運搬能力』の粘土パネル!経験値エッセンスが5!」
ハーコンが獲得アイテムを読み上げているのを聞きながら、僕は無意識に彼を自分に置き換えて想像していた。強くて機敏であることは一体どんな感じなんだろうか?欲しいものを何もかも勝ち取れることは?最高にかわいい女の子たちが、目を輝かせて自分を見つめていることに気付く時は?
ハーコンの自慢はもう終わっていて、みんなの視線が僕に向いていたことに僕はすぐには気が付かなかった。気付いた僕は訳が分からず、辺りを見回した。
「あいつの顔見たか!?」ハーコンの取り巻きの一人、スノーリが汚い指を僕を向けて叫んだ。「『不良品』のやつ、ハーコンのアイテムが欲しくてしょうがねえの!」
洞窟いっぱいに耳障りな高笑いが響き渡った。全員が僕を指差していた。僕の表情をバカにして、真似しようと変な顔をしていた。
これ以上耐えられなくなった僕は、振り返って出口へと走った。そうは言っても、僕にとっての全力疾走だ。カメが這うみたいにのろのろ歩いていった、という方が正しい。というか、正直に言えばカメの方が速いだろう。僕の『世紀の』走りで、またもやバカ笑いが起こった。不潔のスノーリとでっぷりトマスは、「走れ!走れ!」と僕を「応援」までしていた。
帰り道の記憶はない。覚えてるのは、その晩は泣き明かしたことだけだ。あまりに腹立たしくて、あまりに惨めで、地球を突き抜けて落ちていってしまいたかった。でも、何よりも、その場から情けなく逃げ出した自分に嫌気が差した。
その日、心をかき乱す夢の中へと落ちてゆく直前の朝方、僕はもう二度と敵に背中を向けないことを自身に誓った...
現在
「お前、エリック・バーグマンか?」
枯れ木のように痩せこけた老人が、焦点の合っていない目でくしゃくしゃになった紙を見た。小さく禿げた頭、細く骨張った肩に曲がった腰。レベルはたったの九。この人は人生で一体何をしてきたんだろう。僕みたいな負け犬か。いや、違うな。僕みたいなのは、僕しかいない。少なくとも、ダリアはそう言ってた。
「はい、僕です。」
老人は紙から目を離して、僕の頭上に浮かぶ文字をまじまじと見た。
「なんだあオイ...」老人は、衰えて潤んだ目を丸くした。何回か瞬きまでしていた。
「ばあさん、闇市の酒はやめろって言ってたなあ。」老人はしわがれ声で忌々しげに言った。「おかげでゼロがふたっつも見えやがる。」
通りがかった運び屋が大声で笑い出した。
「どうしたよ、バードク?酒の飲みすぎでついにイカれたか?」
「何を笑ってやがんだあ、怠け野郎。ヒーラーんとこで大金ぼられるんだぞ。」
「そりゃいいや、ひっでえ味の薬を飲まされるのを楽しみにしとけよ!」運び屋は笑いながら言った。
バードクは機嫌悪そうにぺっと唾を吐いてから、またもやしかめっ面になって僕のレベルを凝視し始めた。
おじいさんが可哀想になってきた僕は口を開いた。
「バードクさん、安心してください。幻覚じゃありません。僕は正真正銘、『ゼロ』状態です。」
これで彼を安心させられるだろうと思った。それが全くの逆効果だなんて、誰が思うだろうか!僕はこのかわいそうな老人を逆に怖がらせてしまった。
「んなことがあるか!おお、偉大なるシステムよ!」彼は悲嘆に暮れて頭を抱えた。「バルダンさんに一体なんて言ったらええ!不良品を持ってったら、皮が剥がれるまで鞭で打たれちまう!」
「間抜けなじいさんよ、おめえさんは何をグダグダ言ってんだ?」運び屋の監督が助け舟を出した。「バルダンは銀行と取引をした。こいつの返済契約の証書を買ったってわけだろ。そしたら、何に金を払ってるのかをちゃんと確認しなかったバルダンが悪いってこった。じいさんのせいにはなんねえだろ。」
「そうか!」老人は顔を輝かせて両腕を広げた。「結局ワシは組織のしがない歯車でしかねえ。ワシの仕事は、リストに載ってる奴らを運ぶってだけだあ!」
「そうだろ。」ドレイアーがニッと笑った。「じいさん、さっきまで自分の首でも絞めそうな勢いだったぞ。」
「どうも助かったよ。お前さんのおかげで落ち着いた。」バードクはドレイアーにさっと会釈をして、僕の方に向き直った。「わっぱ、さっさとワシの車に乗んな。途中で拾う労働者はまだまだおる。」
僕たちが目的地に着いた時には、もう夕方頃だった。意外にもこの旅路は、僕にとってきついものではなかった。いい香りの干し草に頭を埋めて、道中はずっと眠っていた。バードクが労働者を拾うために止まったときだけ、僕は目を覚ました。胸が張り裂けそうな声で女性や子供たちが泣き叫ぶので、それを聞きながら寝るというのは無理な話だったからだ。家族の一員を返済労働へと送り出さねばならない瞬間。繊細な人には見れるものではないだろう。
僕は初めて目にした光景だった。バードクは僕に、何が起きていたのかを得意げに説明した。じいさんにしては、バードクはよくしゃべった。
「男が銀行へ行って金を借りたとするだろ、」老人は話し始めた。「で、金貨を手当たり次第にばらまいてたら、銀行はどうやって得すんだ?そう、得なんかしねえんだ。利益を出さねえといけねえ、それが銀行ってもんだ。だからまずは、金をちょっと貸してやるわけだ。そんで利子をばんばん積み上げてく。期限通りに金が返せたんなら、そりゃあええこった。でも返せなかったらな、その借金はワシのご主人みたいな人らに買われるのよ。ご主人はいっつも働き手を欲しがってんだ...買われちまったら、借金ぜんっぶ返すまで、ご主人のために働かないといかん。オッホン。話がここで終わらねえのがつれえとこだよ。一家に丈夫な息子がいればええんだ。息子たちを返済労働に出しといて、その間に大体の父親は息子を買い戻すために金を集めようとするからな。んでも、そりゃあまともな父親だったらの話でなあ...時々、親の借金返すために人生の半分ずっと働き通し、ってわっぱもいる。その中には、返済労働で死んじまう奴だっている...」
最後に拾った労働者の家族には息子がいなかった。子供はいたけど、娘だけが五人。その長女は、僕と同じくらいの年齢に見えた。そして、労働に送り出されるのはその子だった。その子はジェイという名前だった。彼女の母親は驚くことに泣いてはいなかったけど、その沈んだ顔は苦痛と絶望でいっぱいだった。下の姉妹たちは、涙と鼻水を拭きながら哀れな子犬のようにしくしくと泣いていた。
母親が去りゆく長女をきつく抱きしめていた間、僕は彼女たちの家を見ていた。父親もそこにいたことはいたけど、酒瓶から口を離したことがないんじゃないかと思うような赤ら顔の中年男だった。それを見て、借金を払い終えるには彼女は長い間働かないといけないんだろうと僕は察した。でもそれさえも、この子にとっては「完済する日が来たら」という夢物語なんだろう。
バルダンの館は、圧倒される大きさだった。三階立て、堅固な岩壁、全ての窓にはまっている巨大な鉄格子。住処ではなく要塞だ。岩山のような大きさのこの館は、背の高い石塀で完全に囲まれていた。しかも、全ての門と玄関の前に、ガッチリ武装した衛兵たちが立っている。どこをどう見ても、このバルダンという男には金が有り余っているようだった。
無口な僕たち返済労働者を乗せた荷馬車は、主の家からは離れたバラックの方へと向かっていた。そこには僕らを待ち受ける人影があった。
男が二人。一人の風貌は、銀行員のサキスを僕に思い起こさせた。首にかかった全く同じ見た目のインク瓶、サキスとそっくりな口髭、一切を見逃さないといった眼差し。ガリガリの体躯。不健康そうにこけた頬。根っからの書記だ。
もう一人は全くの正反対だった。背は高く、肩幅は広い。ショベルカーのような巨大な手。緑色の瞳は、活力とパワーに満ち溢れている。
バードクは僕たちを荷馬車の横に不規則に並ばせて、しわくちゃの紙を「書記」に手渡した。
「どうぞ、執事様。リストの通り、新入りの労働者が六人です。男が四人、女子が一人に男子一人でさあ。」
執事は嫌悪の表情を浮かべながらしわくちゃのリストを二本の指だけでピッと受け取り、素早く僕らの名前に目を通した。僕の名前まで辿り着いた時、彼の目が見開かれた。
「お前は一体何を運んできた!」執事が叫んだ。「老いぼれの愚か者が!バーグマンが渡してきたのが誰かも確認しなかったのか!!!旦那様にご報告のしようも無い!ヴァルガード、この阿呆を鞭打ちにする指令を出しておけ!」
ぼうっと立っていただけの赤髭の巨人が、威圧的に前へと揺れ動いた。バードクは話す気力もすっかり失って、激怒する執事の前に膝から崩れ落ちた。しかし、執事の怒りはどんどんと深まっていくばかりだった。ヴァルガードが哀れな老人の頭上を覆い尽くす。巨大な手のひらが、涙を流し始めたバードクの骨張った肩に迫った時だった。
「執事様!」僕は自分自身から出てきた声に身震いがした。「話してもよろしいでしょうか!」
邪悪なバグが、僕のバカな口を動かしているに違いない!でも、もう後戻りはできないぞ!
中庭に息の詰まるような沈黙が落ちた。不幸を共にする労働者仲間たちは、唖然として僕を見た。おいおいと泣いていたバードクでさえも押し黙った。
「書記」は獲物を見るように目を細めた後、大声で言った。
「話せ!ただし、お前が訳もなく私の邪魔をしているなら、この能無しと一緒に鞭打ちの刑だということを覚えておけ!いいな?」
「はい、執事様。承知しました。」声が震えないようにするのは努力が要った。
「では、続けたまえ!」
「バードクさんは悪くありません。それどころか、彼は執事様の命令を忠実に実行しました。」
「それではなぜ、お前の父どころか兄や姉でもなく、お前がここにいる?」
「執事様、僕に女きょうだいはいません。僕の兄は、『荒れ地』で男爵様のために戦って命を落としました。父と母も、鉱山の崩落事故で二日前に死にました。僕にもう家族はいません...だから、バードクさんは僕を乗せてくるしかなかったんです。」
視界の端で、ジェイが僕を興味深げにチラリと見たのが分かった。旅の間、僕はばれないように彼女を観察していた。まず、彼女がレベル五であることに僕は驚嘆した。そして、柔軟な身体のつくりとネコのようにスムーズな動作から、彼女は「機敏さ」にかなりの重きを置いているんだろうと推測した。彼女の燃えるような赤髪が一房、バンダナからはみ出ていたのも見えた。彼女の瞳は、まるで濃いエメラルドだ。彼女の少し上向きの小さい鼻と青白い頬に散っているそばかすは、彼女の美しさを一切損なっていなかった。損なうどころか、その逆だ...
「小僧の言っていることは真実か?」執事はまだ怒っている様子ではあったが、峠は越えたのが声色から察せられた。
「そうです。」老人が哀れな声で言った。「本当でさあ!誓います!」
『誓約』を承認するシステムメッセージを受け取ったんだろう。執事は今までの激しい怒りから一転して、愛想のいい声を出した。
「いいだろう。」彼は機嫌良くバードクに話しかけた。「労働者全員に寝床を用意しろ。どう使うかは明日決めることにする。」
バードクはすぐさま立ち上がって、労働者全員を一番向こうのバラックへと先導し出した。
僕もそっちを向いて行ってしまいたかったが、突然聞こえた声を無視するわけにはいかなかった。
「小僧、お前も簡単に退場できると思ったら大間違いだ。」
執事の細目が、イバラのように鋭い目つきで僕を刺していた。僕は急に呼吸の仕方が分からなくなった。
「旦那様は大変お怒りになるだろう。銀行の不始末で、我々が後処理を押し付けられたのだ...お前ときたら、全くの役立たずではないか。考えてもみろ!レベルゼロだぞ!立って息をしているのも不思議なほどだ。さて、お前をどこにやったものか。」
「イング。」赤髭の大男が不意に言った。「こいつ、細っこいじゃねえか。スコークスの偵察班が、ちょうどこいつみたいのを長いこと欲しがってたぜ。」
「お前は正気か?」執事がギョッとして言った。「この『ゼロ』小僧をあの鉱山に送るだと?行って一時間も持たずに息絶えるのが関の山だろう!」
僕はそれを聞いて、無意識にゴクリと唾を飲んだ。心臓が激しく脈打って、今にも胸から飛び出そうだった。
「そうなったら何だってんだ?」ヴァルガードはさらに続けた。「ご主人の所有物を傷付けたって言って、スコークスに苦情でも申し立てりゃいい話じゃねえか。むしろイングの方が得するかもしれないぜ。」
「何を言っているんだ、お前は。こいつの借金は金貨百枚相当だぞ!スコークスがそんなリスクを犯すはずがない。十人でも二十人でもそのへんの小僧を雇える金額だ!」
「イング、そりゃあまたずいぶんな思い違いだぜ!」大男が声を出して笑った。「スコークスは自分の母親でも銅貨十枚で売っ払うような男だ!アッハッハ!お前は冗談は言わないと思ってたよ!あの守銭奴は、タダで差し出されたもんは絶対に断らねえ。それに、このボウズが初日でくたばるとも限らねえぜ。鉱員一家の生まれだろ。何だかんだ言って、こいつもバーグマンだ。」
そう言ったヴァルガードは、僕にパチリとウインクした。僕の身体中に寒気が走る。
「それはそうだが、なぜ小さい子供など欲しがるんだ?」興味を持ったイングがそうたずねた。
「確か、長い地下道の偵察だってよ。洞窟の這いずり虫が作った巣穴には、小柄な奴しか入れないからな。」
「なるほど。」執事がそう言って、己の髭を撫でながらじっと考え始めた。
「自分のことで考えてみろよ、」イングが折れる寸前なのを察したヴァルガードが、もう一押しとばかりにたたみかけた。「スコークスは細っこいガキを要求してきたか?そうだろ。それで、お前は細っこいガキを一人送ってやったか?その通りだ。それでどうするのかは、あいつが決めることになる。ボウズを地下道に送り込むことにしたなら、それは当然あいつの責任だ。だが、こっちに送り返してきたって大したことじゃねえ。ご主人が帰ってくる前に、厨房にでも入れといてやればいいのさ。二週間は帰ってこないって聞いたぜ。」
「ああ、」イングが同意を示した。「旦那様は新たな剣闘士を多く買いに行かれた。ヴェスター保安官による人員補給用の列車がちょうど都市に着いてな。戦争捕虜からオークにゴブリンまで、多く乗っているらしい。」
「そりゃあ好都合だ。それならご主人は新しく入ったガキなんて目もくれない。お前もスコークスに一泡吹かせるいい機会じゃねえか。あいつ、先月にお前のことでご主人に苦情書を送ってきたんだろ?」
イングの顔が怒りに染まったのを見ると、ヴァルガードはドンピシャのところを突いたらしい。僕にとってはひどく不運なことに、この大男は力だけが売りではなかった。ヴァルガードの話術は巧みそのものだった。
「そんでもってスコークスは、こいつの借金がいくらなのかは絶対に聞き出せねえ。誰にも言えないよう、今ここで俺たちに『誓約』してもらうからな。」大男はそう言って、ダメ押しまでしてくれた。
それを聞いたイングが、僕に視線を向ける。ブルブル...氷点下の眼差しだ。
「さて、おしゃべりな小僧よ。お前はこの世を旅立った最愛のパパと同じ道を辿るようだ。」
第3章
「おちびさん、お食べなさいな。今日ずっと、何も食べていないでしょ。」
何ともおいしそうな香りのする何かがいっぱいに入った粘土のボウルを持って、痩せた小柄の老婦人が僕の前に現れた。僕は息を止めて、あふれる唾を飲み込んでから、料理のレベルを目で探した。老婦人は、僕の考えを読んだかのように気を利かせて言った。
「安心しなさいな、おちびちゃん。普通の野菜スープよ。レベルはゼロ。」
クスリと笑ってから、バラックを出る老婦人がこう付け加えた。
「ここにはそれ以外の食べ物は無いからねえ。」
お腹は凄まじく減っていたけど、僕はできるだけがっつかないようにして食べた。
「偉大なるシステムよ!なんて素晴らしい匂いなんだ!」僕は喜びに目を閉じた。
マダムにランダムのご加護よあれ、親切なマダム・ホーストが僕に持たせてくれた食べ物は今朝で食べ終えてしまっていた。でも、ありがたいことにバードクが少しの乾燥玉ねぎと硬くなったパンの端を僕にくれたので、日中は食いつなぐことができた。今までご馳走ばかり食べてきたわけでもないけれど、たとえ普通の食べ物でも母さんはいつもたくさん料理を作ってくれた。母さんはそうすることで、僕に対する本来感じる必要のない罪悪感を和らげていたんだと一度父さんが僕に説明していたな。
両親のことを思い出した僕の目に、すぐさま涙が浮かんできた。これは全部悪い夢で、今にも終わりが来てくれるんじゃないかと僕はまだ感じずにはいられなかった。父さんのガッチリとした身体が、僕が一夜を過ごすことになったこの汚いバラックの入り口から現れるんだ。母さんは父さんの後ろから飛び出てきて、僕を両腕できつく抱きしめる。僕たちは馬車に乗って、僕がここまで来る羽目になった原因のくだらない手違いについて大袈裟に文句を言いながら、家に帰るんだ。
僕はものすごい速さでスープを飲み終えてしまって、まるでボウルの中には初めから何もなかったかのようだった。最後は大切なにんじんの欠片がバラバラになってしまわないよう気を付けながら、残りのスープもちぎったパンで拭い取った。冷たい水で流し込んで満ち足りた僕は、今夜のベッドである干し草がつまった埃臭い布袋の上に身体を預けた。
「おい、調子はどうだよ?ちっとは元気になったか?」
かすれた小声が右側から聞こえてきて、心地よい眠気に誘われていた僕は意識を無理矢理に引き戻された。半歩向こう、僕の隣の布袋に寝そべっていた誰かが、こちらに寝返りを打った。
「そうだなあ。」僕は同じくらい小さな声で返した。この真っ暗なバラックには、少なくとも他に三十人はいる。全員がもう眠りの中だ。みんな、一日中働いてクタクタなのは言うまでもない。僕らの話し声で起こしたくはなかった。
「アガサばあちゃんの野菜スープは最高だよなあ。」姿の見えない男が満足そうに言うのが聞こえた。「能無しのハリカが作るスープとはもはや違う食べ物だぜ。しかもお前のスープ、にんじんもキャベツもみんなの二倍は入ってたろ。」
「気付かなかった。」僕は答えた。「すぐに食べ終わってしまったから。」
「そりゃあちげえねえ。」男は保証するようにささやいた。暗闇で男の頭が頷いているのが見えた気がした。
「でも、どうして僕には追加してくれたんだ?」僕は男に聞いてみることにした。
「どうしてだって?」腹立たしげな声が返ってきた。「ばあちゃんの旦那がお前のおかげで命拾いしたからだろ。」
「命拾い?僕は誰も救ったりしてない。」
「バードクはどうだよ?お前、あのじいさんが今日鞭で打たれてたらどうなってたと思う?先月もじじいは打たれてた。そん時回復したのは奇跡だぜ。アガサばあちゃんが貯金のほとんどを呪術師の男に使ったって話だ。旦那が良くなるようにって必死でな。」
想像した僕の喉はカラカラになった。僕のちっぽけな「生命」ポイントでは、一回でも打たれたら確実に即死だ。
「ところでお前、今日の飯はタダでよかったな。」声の主は、暗闇の中から大事なことをもっと教えてくれた。
「タダ?」
「おうよ。お前、タダで食わせてもらえるとでも思ってたのか?そんな親切な場所じゃねえぞ。俺たちは自分の飯にも金を払わないといけねえ。お前、次はどこに連れてかれるんだよ?」
「鉱山って言ってた。スコークスが何とかって。」
「マジかよ...」顔の知れない男の声に同情が混ざった。「そりゃあ運が悪かったなあ...スコークスに人情ってもんはねえ。あいつの鉱山も、肥だめみてえなとこだ。」
僕は背筋にぞわりと寒気が走るのを感じた。
「ボウズ、お前にタダで忠告してやる。あそこでは気配を消して、絶対に目立つんじゃねえ。大事なモンは隠しとくんだ。後ろにも常に細心の注意を払え。スコークスの鉱山にいるのは返済労働者だけじゃねえ。刑務作業に来てる囚人もわんさかいる。悪党やら人殺しを見つけるには事欠かねえとこだよ。鉱山の地下道も、地下生物がうじゃうじゃしてはいるがな。お前なんか一口で丸飲みだろうな。でもな、一番ヤベえのは地下のモンスターじゃねえ。救いようのないあの場所の本当の怪物はスコークスと、ならず者の手下どもだ。俺の忠告をよく覚えとけば、生きて帰ってこられるかもな...だけどよ。地下でも絶対に気を抜くんじゃねえぞ。」
最後の一言はひどく早口だったが、それでも僕は聞き漏らさなかった。そして、その警告に僕の心臓は一層激しく胸を打った。
「分かっ、た。ありがとう。」僕はしゃっくりを抑え切れずにささやいた。男からの返事は返ってこなかった。会話が終わったと思って、すでに眠りについたのだろう。
そのあと、僕は暗闇の中でしばらく寝転んだまま、固まっていた。この見知らぬ男が、また突然役に立つことを言ってくるかもしれない。だけど残念なことに、彼は本当に眠ってしまっていた。
布袋の上で何回か向きを変えて、特にチクチクする干し草を平らにならした僕はやっとのことで緊張がほぐれて、不運を共にする仲間たちの規則的ないびきを聞きながらどうにか眠りについた。眠りに落ちる前、どこからともなく二日前のことが頭に浮かんできた...
二日前の、両親が死ぬ数時間前
今日はなんていい日なんだろう!とはいえ、いい日じゃないなんてありえないか!自分の誕生日が好きじゃない奴なんているのか?少なくとも、僕はそんなバカな奴には会ったことがないぞ。
前日の夕方から降り続けていた雨は朝になっても止まなかったが、最高に機嫌良く目覚めた僕はそれさえも気にならなかった。目が覚めたのは、キッチンからカチャカチャと音が漏れてきたからだ。僕は起きてから数分間、ベッドから動かずバカみたいにニヤニヤしていた。僕はこの音が大好きだ。なんてったって、この音が意味することはただ一つ。母さんが何かおいしいものを作ってるってことだ。
食器の音が止まったと思ったら、今度はそれはもう食欲をそそる香りが僕の部屋までやって来て、僕のお腹は勢いよくうなった。
ああ、偉大なるシステムよ!母さんは僕が大好きなあのパンを作ってる。シャイカブロートを!ただの砂糖入りパンじゃないかという人もいるかもしれないが、僕には全く違う。焼きたてふわっふわのあの甘いパンの厚切りに、新鮮でコクのあるチーズをのせて琥珀色に輝くハチミツをかけると、この世で一番おいしいものが出来上がる。一口一口で甘さと酸っぱさのコンボが爆発すると、僕の舌は何度でも歓喜する。それを時折、まだ温かい新鮮な牛乳で流し込むのがまた最高の至福なのだ。
この日、お手伝いさんたちは僕のことに気が付かないかのように振る舞う。でも、芝居なのは分かってるんだ!いつもそうだ。最初はいつもと同じ一日だとでも言うように真面目な顔をしていても、すぐ笑顔になってお祝いの言葉とプレゼントをくれるんだ。誕生日というのは、なんて最高の日なんだろうか!
数日前、母さんはうっかり口にしてはいけないことを言った。今年は父さんが特別なプレゼントを用意してるってことだ。今までに僕がもらったどんなものとも違うんだ、って。それからというもの、僕は焦れったくてたまらなかった。待望の日が近付けば近付くほど、落ち着かなくなっていった。
顔を洗って歯を磨いた僕は、ダイニングへと降りていった。父さんと母さんはもうテーブルについていて、低い声でたわいない話をしていた。
僕は一人前の男性らしく見えるよう、二人におはようと言って椅子に座った。二人には気付かれなかったかもしれないけど、僕の震える両腕からは僕の心中がしっかりとにじみ出ていた。
数週間前、父さんは都市の市場(いちば)に買い物に出かけていた。たくさん買ってきたのは必需品だ。小麦粉、ハチミツ、布地。母さんのためのアクセサリーもいくつかあった。だけど、父さんは小さい包みに入った何かも買ってきた。父さんはそれを誰にも見せず、家族の貯金と大事な書類が入った特別な隠し場所に保管した。母さんにだってそれを触らせなかった。でも、それは母さんが僕にそう言ったってだけだ。正直、その時の母さんは笑顔を全く隠し切れていなかった。あの母さんの言葉を鵜呑みにするのは、世界で一番の間抜けだけだろう。
僕はほとんど毎日、あの包みのことを母さんに聞いたけど、母さんは口を割らなかった。予想通り、今日はあれがテーブルの反対側に置いてあるじゃないか!父さんと母さんは僕の様子に気付かなかったふりをして、会話を続けた。ああ、この調子だと、僕はもうそろそろ気が変になりそうだ...
朝食の時間がようやく終わった。母さんのおいしい料理を食べている最中でも、僕は腕を伸ばせば届く距離にある、あの正体不明の包みが気になって仕方がなかった。
母さんに食事のお礼を言ってから、父さんはついに僕の方を見た。父さんは嬉しそうな、でも僕をからかうような笑顔を顔いっぱいに浮かべている。
「それじゃあ母さん。」父さんがクックと笑った。「かわいい俺たちの息子をからかうのは終わりにしてやろうか。」
そして僕に言った。
「エリック、こっちにおいで。」
僕は満面の笑みでフラフラと二人の方に近付いた。父さんが包みを開けた。革でできた入れ物。簡素な骨のハンドル。目の前にある物が何か気付いた時、息が止まった。ナイフだ!武器!ダメージ!ダメージが与えられれば、経験値エッセンスもパネルも獲得できる!
「これはドラゴンフライというんだ!」笑顔の父さんが、僕にプレゼントを差し出した。「お前のものだ!」
「お誕生日おめでとう、エリック!」母さんがそう言って、僕の額にキスをした。
上の空で二人のお祝いに返事を返した僕は、震える手で入れ物からナイフを取り出した。
「ボタンはここだぞ。」父さんが言った。
僕は教えられたところをすぐさま押した。すると、僕の手のひらほどの長さの、細長い鉄の刃が、骨のハンドルからバッと飛び出した。
「これはな、」父さんが説明を始めた。「刃が少し曲がっているだろう。ドラゴンフライと言うように、トンボの羽のような形をしてる。切れるのは片面だけだ。シンプルな小型ナイフにしか見えないけどな、これは先もかなり鋭いから、物を突き刺すこともできるぞ。」
僕は手の中で何回かナイフを左右に回し、感覚を馴染ませた。作業をするのに僕が使える、初めての道具だ。状況によっては、武器として使うこともあるかもしれない。僕にこの時が来るなんて!たとえダメージが微々たるものでも、僕には気にならなかった。嬉しいなんてもんじゃない!
「ダメージは二だけだが、心配しなくていい。」父さんがさらに付け加えた。「低いのは今だけだ。お前のレベルが上がり始めたら、ナイフのダメージもどんどん上がっていく。これは『拡張』可能アイテムだ。すごいことだぞ!ふっふ。父さんはこれを買うために十四年間、金を貯めてたんだ!ダリアがいなかったら、俺たち家族は途方に暮れていたな...」
僕は立ち上がって、父さんを力いっぱい抱きしめた。そして母さんも。
「ありがとう...父さんと母さんがいて、僕はなんて幸せ者なんだろう...」
母さんは微笑んで、また僕の額に何度かキスをした。そのあと、自分の両目に溜まった涙をエプロンの端で拭った母さんは、キッチンへと急いで行った。
「やれやれ。息子の言葉で母さんは感極まってしまったようだな。」父さんは小さく笑って、間髪を入れず僕に聞いた。
「エリック、父さんが帰ってくるのを待っててくれるか?一緒に実験なんかどうだ?父さんが帰ってきたら二人ですぐ森に行って、お前の新しい道具を色々試してみるんだ。いい案じゃないか?」
「最高の案だよ!楽しみに待ってる!」
「よおし!お前、今日の終わりにはレベル1になってるかもしれないぞ。なあ、エリック?」父さんは、それはもう嬉しそうだった。
僕と父さん、どっちの方がワクワクしていたか分からないくらいだ。もしかしたら僕はあの時、実際にそうたずねていたかもしれない。でも、父さんも母さんも、二度と帰っては来なかった...
現在
「これ、持っていって。道中で食べるようにって、アガサさんがあなたのために作ってくれたよ。」
僕と他の数人を「曲がり山」まで乗せていくための荷馬車。ジェイはその隣に、僕らと一緒に立っていた。「曲がり山」には、バルダンさんの古い銅山がある。悪いことは考えたくなかったけど、見たところではそこが僕の終着点みたいだ。
「あ、ありがとう。」僕は不安でしゃっくりが止まらないまま、小さな包みを受け取った。
ジェイは本当に綺麗で、あのミアにも匹敵するほどだ。だけど、二人の美は種類が違う。ミアの美は氷のように冷たいのに対して、ジェイの美はまるで炎のようだ。ジェイが僕に炎を連想させるのは、彼女の、大きいカールを描く長い赤髪が理由だ。昨日僕らが荷馬車にいた時、ジェイが髪を整えるために一度バンダナを外したことがあった。僕は呆気にとられた。息の仕方も分からなくなった。なんて綺麗なんだろう!僕の鼻は彼女の髪からする匂いにさえ気が付いた。芝生と春のような香りだった。
彼女の濃いエメラルドの瞳に見つめられると、僕は平静ではいられなくなった。一体僕に何が起きてるんだ?こんなこと、今までなかった!
「気を付けて行っておいでね、ぼうや。」ジェイは弟に言うような口調で僕にそう言って、厨房があるバラックへと歩いて行った。
ぼうや?彼女にとって、僕は「ぼうや」でしかないのか?僕の右手が、持っていた包みを握りしめた。腹が立ったわけではなかった。怒りとは違う。自分が無力で弱いことに対しての苛立ちのようなものだった。
不意に、僕はヴァルガードが近くに立っていることに気が付いた。あいつはジェイのしなやかな肢体に見入って、赤髭の上にある口にいやらしい笑みを浮かべていた。
それを目撃したのは僕だけだろうか。それともジェイも?でもジェイは、赤面したり怖がったりしなかった。二人がどんな駆け引きをしているのか、はっきりとは分からない。でも僕は、最初に想像していたよりもジェイは何歳も年上なんだということにそこで気が付いた。
「わっぱ、荷馬車に乗ってくんな。」バードクが僕に言った。「急げば夕方までには着けるかもしれねえぞ。」
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